洒落にならない怖い話まとめぽぽぽ・・・

怖い話にはいい話もあるんだよ?

『母子家庭の娘』布団はしいてあるだけじゃなくて、ちゃんと娘が寝てた。【悲しい話】

実家の近所に超貧乏な母娘家庭があって周りの人達からちょっとハブられてたんだ。

でもうちの母親はお節介だからたまに様子を見に行ったりしててさ

そのうち娘さんが体調を崩したとかいう話があって、しばらくしてうちの母親がまた様子を見に行ったんだけど鍵がかかってて誰もいないらしい。

で、うちの母親は心配になって(田舎もんだから出来る所業なんだけど)庭に回って窓から覗いたらしい。

そしたら布団が一組ひいてあるだけで誰も寝てないし、人の気配もしないから「入院してるんじゃないか?」って話になったわけ

 

入院してるならいっか~って、すっかり忘れてたらその年の夏休みに

そこの家に救急車やらパトカーやらがきてて大騒ぎになってんだ。

なにがあったんだ?!ってビビってたらうちの母親が通報者だったらしい。

母から聞いた話によると家で洗濯してたら小学生が叫びながらうちに来たらしい。

何事かと思ったら「死体だ!死体だ!ミイラだ!」と言っている。

その小学生に連れられて来たのがその母娘ん家。ガラスが割れてて(それは小学生がやったらしい)

 

920 本当にあった怖い名無し 2012/09/09(日) 21:41:41.95 ID:JQH0VZ0K0

割れてる窓は鍵も開いてる(これも小学生のしわざ)母が中にはいると物凄く臭い。

で、見つけたのが布団の中で死んでる娘。

布団はしいてあるだけじゃなくて、ちゃんと娘が寝てた。

ただ、娘がガリガリになってて(死因も餓死)布団に厚みがなかったから気付かなかっただけ。

母が最後に覗いたときはまだ生きてたかもしれなかったって母が泣いてた。

 

ちなみにその家の母親は行方不明。

『痴漢』半泣き状態だったところ「悪ぃな、ちっと詰めてくれや」

 

社会人1年目のちょうど今頃、朝の地下鉄車内で痴漢に遭いました。

 

ものすごいラッシュで逃げようもなくて、半泣き状態だったところ

 

 

 

「悪ぃな、ちっと詰めてくれや」

 

 

 

と大きなカゴを持ったおじさんが痴漢と私の間に割り込むように立ってくれて

 

痴漢のおやじをぎろりと睨みつけてくれました。

 

その後、痴漢が電車を降りるとおじさんは本当に小さな声で

 

 

 

「ああいうのはどうしようもねぇな。

 

 ・・・すぐ気づかなくてゴメンな」。

 

 

 

ありがとうございます、と言うのが精一杯の私に

 

 

 

「俺も娘がいるんだよ、

 

 あんたもお父ちゃん大事にしてやってくんな」

 

 

 

と照れ笑いしていたおじさん、

 

本当にどうもありがとう。

 

 

 

私は小さいころ父親を亡くしていたので、

 

天国の父が助けにきてくれたようで

 

実はその後、嬉しくてちょっと泣いちゃいました。

 

東京の日比谷線でのことでした。

 

おじさんは築地まで行ったのかな・・・。

 

『怪我の連載』思い込みと被害妄想が激しい祖母の生霊

初めて書くからまとまってないかも。

 

祖母は少し頭がおかしい。思い込みと被害妄想が激しい系の人だった。

父(息子)のことは好きで、母(嫁)のことは嫌っていた。

祖母達とは一時期同居したんだけど、色々トラブルがあって途中で出て行った。

祖母的には母にいじめられていたって認識だったらしい。

それから変なことが起こるようになった。

 

家が半二世帯住宅なんだけど、まず私が変な物を見るようになった。

二階(私たちの生活圏)に上がる度に、白い靄が後を付けてくる。

完全に直視はできないんだけど、確実に視界の端に白い奴がいる。

そいつは二階にいる時だけついてきた。しかも時が経つにつれ数が増えた。

今まで怪我を全くしたことがなかった母がくだらない(本当に笑ってしまうような)理由で膝と肩の骨を粉々に折った。

兄は足と手を、私自身も右手首をふざけた理由で折った。

しかし、父だけには何も起こらなかった。

しばらくして両親が寝室を移動したので私がそこに寝るようになった。

 

その頃にはもう白い奴が七人くらいいたけど、妄想の一種だと思っていた。

ある日、ふと窓の外を見たら目がこちらを見ていた。本当にほぼ目だけ。

プライバシー保護のための線がある範囲だけが宙に浮かんでいた。

見間違えかもと思って二・三度くらい見直したけどいた。部屋を出たら消えた。

 

962 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/15(土) 03:18:13.54 ID:hHAoJexo0

 

 

自分の頭がおかしくなったと思って母に相談したら、「ばあちゃんかも」と言い始めた。

ばあちゃんの生霊が母を監視しているのではないかとのことだった。

中の人が変わった今でも部屋を監視しているんじゃないかって。

母が一つ上の姉に相談をし、ばあちゃん生霊説が濃厚になったらしい。

結果、寝室の四隅には塩が盛られて、私は変な物を見なくなった

手首を折った三年後、右足首を捻挫した。処置が悪かったらしく未だに関節がぐちゃぐちゃのままだ。

それからまた三年後、左下腿を五針くらい縫う怪我をして筋肉が断裂した。

全身怪我してもいいくらいの事故だったんだけど、怪我したのは左下腿だけだった。

それぞれ二ヶ月くらい松葉杖で生活するレベルの怪我だった。

理由はやっぱりくだらないものだった。

 

964 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/15(土) 03:25:06.99 ID:hHAoJexo0

 

 

理由が理由だったから怪我のことをよく話のネタにしていたんだけど、ある時友人に「今度は左上腕かもね」って言われてゾッとした。

私、四肢以外はどこも怪我していないんだよ。痣すら作ったことがない。それが今綺麗に右手右足左足まで来てる。

三年後に左手がどうにかなるんじゃないかって思ったけど、そうならなかった。

左足を怪我した年の夏(完治した頃)に祖母が死んだ。

 

葬儀などが一頻り終わると、祖母を追うように父が癌になった。

早期発見だったから手術が間に合って、まだ元気に生きている。この先どうなるかは分からない。

祖母が今まで守っていたのか、連れて行こうとしているのかも不明。

さすがにもう怪我の連鎖も終わると思った。

【ジャイアン】回りに心配かけたく無くて、いつも無理して笑っていた。そんな時兄がお土産をくれた。

 

中学の頃、学校でいじめにあっていた、教室に入れなくていつも保険室に通っていた。

 

いじめの事は家族にも言っていない、ただ私のワガママで保険室に通っているだけ、と教師、両親は思っていた。

 

いじめは段々とエスカレートし、また陰湿だった

でも回りに心配かけたく無くて、いつも無理して笑っていた。

 

辛くて孤独でどうしようも無くて、死んでしまおうと決心した日、高校生の兄が修学旅行から帰って来て私にお土産をくれた。

 

どこかのドライブインに売っているような、キーホルダーのオルゴール、長崎に行って来たハズなのに

 

幼い頃から、兄と常に一緒にいたが、兄にはいつもイジメられた記憶しか無い。

だから、長崎のお土産を私にだけはくれなかった、そう思った瞬間、学校でのイジメと重なり、私はそのお土産を『こんなのいらない!!』と投げつけてしまった

 

すると、その衝撃でオルゴールがなった、題名は知らないけど

『涙など見せない強気なアナタをこんなに悲しませてるのは誰なの?』

って言う歌詞の曲が

 

兄は、何も言わずにそのお土産を拾おうとしゃがんだ、兄は泣いていた。

初めて兄が泣いているのを見て、呆然としていると、兄がポソリと言った

 

『お前をイジメて良いのは、兄貴の俺だけだ、それ以外のヤツがお前をイジメるのは許せない、俺は知ってるから、お前が家で我慢して笑ってる事。

小さい頃からいつも俺の前で泣いてたんだから、我慢なんかしなくて良いんだぞ。

俺は、イジメてばかりの兄貴だけど、他人に妹をイジメられて黙っていられる兄貴じゃないからな。』

 

その言葉を聞いて、私は号泣、学校のイジメの事を全て吐き出しました、泣きすぎて喘息で咳き込みながら、全部

 

兄は横に座って聞いてくれていました。

全部話し終わると、『よく頑張った』と一言言って頭をポンポンと撫で、

『今日は寝ろ、明日は学校行かなくて良い』 と言って部屋から出て行きました。

暫く一階で母親と兄が会話している声が聞こえてきました。

 

翌日から暫く学校を休み、再び登校すると、イジメはかなりされなくなっていました。

教師に聞くと、兄が中学の教員室に乗り込みぶちギレて行った様でした。

高校の生徒会長が乗り込んで来た為、教師も慌ててイジメに関して動き、結果私を含め多人数がイジメの被害にあっていた事も判明しました。

 

その何年か後、私は旦那と知り合い、結婚式を挙げた時、兄貴は

『小さい頃から、俺は妹をイジメて泣かして来た、

 でも、お前をイジメるヤツは俺は許さない、

 どうかこれからは、俺の変わりに守ってやってくれ。』と

 

 

兄ちゃん、今日は兄ちゃんの結婚式だよ、お返しに今日は私が兄ちゃんを泣かすから。

『先天性の持病を持った女の子』もし、手術中に幽体離脱でもしたらオレの所にでも来なよ。

 

今から約10年位前の話。

当時、オレには仲が良い女の友達が居たんだ。

今だから言えるけどやっぱかわいかったよ、モテてたしね。

なんか気が合うらしくて良く一緒に遊んだりしたよ、自分の気持ちを隠しながら・・

 

そんなある日、ソイツが手術する為に遠くに行く事になったんだ。

詳しくは教えてくれなかったが先天性の持病を持ってたらしい。

でも、ソイツはオレには弱いトコロをなぜか見せないようにしてたなあ、なんでだろ?

オレもそういうのを知っていながらは優しい言葉を何1つかけれなかったんだよ・・・

手術するって知った日、オレは励ますところか逆にふざけてソイツに言ったんだよ。

 

「もし、手術中に幽体離脱でもしたらオレの所にでも来なよ。

 首筋 でもなぞってくれればオマエだってわかるからさ。」

 

そしたらソイツ「絶対行くから」と答えたんだよ、

オレはできるわけないって笑ってたらスゴイ真剣な顔でオレを見つめていたのを覚えてる。

 

手術する日を教えてもらってソイツは数日後、療養先に行っちゃったよ。

見送りすらできないチキンなオレだった。

 

そして、ソイツの手術当日の夜、不安でしばらく寝れなかった。

「もし居なくなったら・・・?」とか考える事は縁起悪いことばかり・・・

でも人間ってやっぱり寝ちゃうもんなんだな・・・いつの間にか寝てました。

 

うつ伏せで寝てて、時間の経過は良くわかんないけど何か棒みたいな物がオレの首筋を触るんだ、触られる度に「ザワザワ」って鳥肌が立つ感じがしてさ。

結構金縛りとかかかるんだけど、その時は押さえつけられる感覚はなかった気がする。

それに金縛り特有の「怖さ」がなかった。

オレはうつ伏せから仰向けに寝返ってみると、黒いワンピースを着たソイツが目の前で宙に浮かんでたんだよ。

不思議に怖くはなかった。「あ、夢かな?」と考える余裕すらあった。

 

ソイツ、すごい哀しい顔でオレの事を見てた。

その時、今まで押し殺してたモノや耐えてきたモノが一瞬のうちに壊れてしまった気がして、

思わず左腕を伸ばして宙に浮くソイツの首根っこを、自分の肩に引き寄せた。

 

そして「早く帰って来いよ」って言ってキスをしたんだよ。

自分でも信じられない程の行動力&度胸だった気がする・・

ソイツ笑顔で頷き、そこで目が覚めた。

 

「なんだ・・・夢か・・・。」なんか不思議な夢だなぁと思った。

 

 

        その時迄は本当に夢だと思った。                        

                           

 

 

そして、しばらく経ってから友達からソイツの手術は成功してもうすぐ退院してこっちに帰ってくると連絡があった。

「もしかしたら1番にオレに知らせてくれるんじゃ?」と期待してたが「やっぱ、あれは夢だったんだなぁ」とガッカリした覚えがある。

 

もうしばらくしてソイツが退院してこっちに帰ってきた。

驚いた事に、ソイツは帰ってきて最初に電話したのはオレだった。

 

「退院おめでとう。」など素っ気ない事ばかり言ってるオレ・・話を盛り上げようとして

「オマエが手術した日にオレさぁ、オマエが出てくる夢見ちゃったよ。」

とふざけて言ってたら、ソイツが

 

「ちゃんと行ったよ。私覚えてるもん。」と平然に答えた。

 

それどころかその日、オレの寝てた時の服装や自分の格好などすべて完璧に言い当てた。そして

 

 

「ちょっと見て欲しいものがあるんだけど、今すぐ来てくれない?」

 

 

大体予想はついていた。急いでソイツの家にバイクで向かった。

オレのバイクの音を聞いてソイツが家から出てきた。

「復活!!」とはしゃぐソイツを見て、いつも通り気持ちを押し殺してる自分がが情けなかった。

 

「見て欲しいモノがあるんだ・・・」ソイツはおもむろに髪をかき上げて右の首筋から後ろにかけての所をオレに見せた。

そこには青あざって程ではないが4本の横線状のあざが上から順に並んでいた。

 

「手を・・・合わせてみて」

「わかった・・・。」

 

オレはソイツを向かい合わせて夢と同じように左手を差し出し左手の指をあざに合わせてみた・・・・

ピッタリだった。指の長さも太さもまったくっていいほど同じだった。

 

「本当だったんだ・・・あの夢」

 

絶句してるオレにソイツは

「このあざなんで出来たか先生もわかんないってさ。

 でも私ね、手術終わった後に1回危ない時があったんだっって。

 でもその時何故かすぐに落ち着いたんだって・・・もしかしたらその時に会ってたかもね?」

 

「このあざ、しばらく消えて欲しくないよ」

 

ソイツ表情は夢の時に見たあの哀しい表情と同じだった。

あれから10年経った今、オレは結局ソイツに告白できずに終わった。

そしてソイツも、周りに居たヤツラもそれぞれ疎遠になったり音信不通になっていった。

 

でも、今でも考える時があるんだよ「あれはなんだったんだろう?」って

そして、その時の気持ちやソイツの笑顔とかが鮮明におもいだすんだ。

オレは今、人生を共に歩んでくれる大切な人が出来ました。

だからもう、思い出さないようにするだろう、だから最後に書き込んでみたかった。

【母親】何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。

 

今日はお腹の赤ちゃんと家で過ごす最後の日。

何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。

なのに産んであげることできなかった。

ダメなママで本当にごめんね。

先生に無理言って最後のエコー見せてもらったら、

小さな身体全部で一生懸命頑張ってとっても大きくなってたね。

ママ本当に涙が止まらなかった。心から嬉しくて誇りに思えたよ。

 

いまどんな夢見てるのかな。どうかせめて最期まで幸せな夢を見ていてほしい。

 

このあいだ一緒に見た盲導犬クイールの映画、感動したね、

天国でクイ-ルに会えるといいね。きっとぺろぺろ舐めてくれるよ。

いつか私が抱っこしにいってあげられる日まで少しだけ、待っててね。

絶対に、会いに行くよ。どこにいても探し出してみせるよ。

 

でもママ地獄に行っちゃうかもしれないけど

そしたら代わりにママの妹分のわんこにベビを守ってくれるようにってお願いするから。

どうか寂しい思いだけはしないように。・゚・(ノД`)・゚・。

「おじいちゃんおいしいね」貴族さんとお花さんは二人で泣き出し、俺も泣き出し、どうしようもないお馬鹿家族状態に。

4歳の頃、祖父が死んだんだ。葬式に出て出官の時に

 

「これからどこにいくの?

 

とたずねた俺に貴族さん(一時的にお世話になっていた男の人)が、

 

「おじいちゃんを焼きに行くんですよ」

 

何の事だかさっぱりわからず寝ちゃって、気が付くと家に。

 

しばらくして「ご飯ですよ~」とお花さん(俺と同じ貴族さんにお世話になっていたお姉さん)。

で、その時のメニューが豚の生姜焼き。

 

 

 

82:本当にあった怖いヘタレ:2016/07/30(北伊) 03:54:17 id:HtarItaly

 

急に感極まった貴族さんが泣きながら食べているので、その肉を間違いなくおじいちゃんだと思って食べはじめた俺。祖父が大好きだったので、俺も泣きながら

 

 

 

「おじいちゃんおいしいね」

 

と言うと貴族さんはさらに激しく泣き始めて、お花さんが

 

「おじいちゃんみえるの?

 

と俺に聞くので、目の前にある肉が祖父だと確信している俺は

 

「おじいちゃん目の前にあるよ」

 

と答えると貴族さんとお花さんは二人で泣き出し、俺も泣き出し、どうしようもないお馬鹿家族状態に。(豚の生姜焼きは祖父の大好物だったのを知るのは10何年後)

 

 

 

83:本当にあった怖いヘタレ:2016/07/30(北伊) 03:54:59 id:HtarItaly

 

それから肉が我が家の食卓に上がると俺は決まって

 

「だれ?これだ~れ?

 

と聞いたそうだ。

そのたびお花さんは

 

「だれじゃないでしょ?な~にと聞きなさい」

 

と小言。

 

本当に恥ずかしい話だが、小学4年くらいまで肉は全て人肉だと思っていた。なぜか給食の肉?(南蛮鯨)はベトナム戦争の犠牲者だと思っていた。

 

だから日本じゃ手を合わせていただきますと言うのだと思っていたんだ。

『お盆』帰ってきたじじ【怖いけど良い話】

流れ読まずに投下

 

先日いとこが子どもを連れて帰ってきた。

一歳の女の子でまだ言葉もママとかぶーぶーとかしか喋れない。

家に来て速攻食べ物ねだったり、コロコロで遊んだり、ごく普通の一歳児。

 

しばらくすると、遊び疲れたのか眠たそうにしていたので和室につれていき、布団に寝かせることにした。

妊婦であるいとこも一緒に横になり、じいじ(いとこの父)は隣の部屋でソファーで横になり、いとこの旦那は仕事で来ていなかった。

 

あたしも一緒に横になり、眠りにつこうとしていた。

するといきなり、いとこの娘がベランダの方を指差し始めた。

 

あ!あ!

 

なんだろう?と思い外を見て見たがなにもない。

風が強かったので、揺れている木がおもしろいのかなと思い、揺れてるねーと笑いながら返した。

満面の笑みでベランダを指差しながらあたしを見てくる。

そんなに楽しいのか?(笑)と思いながらも風すごいねーと返事をしていた。

すると、寝転がっていた布団から起き上がり、ベランダのほうへ近づいていった。

網戸にしろとうるさいので窓をあけてやると、何もない空間を指差して一生懸命伝えてくる。

 

あ!あ!

 

さすがに何かあるのかな?と思い、どうしたの?と聞くと

 

じじ!じじ!

 

 

 

880 本当にあった怖い名無し sage New! 2012/08/22(水) 20:36:19.63 ID:cJLhfTmg0

じじ?じいじのことか?と思ったがじいじはソファーでリラックスタイム。

しかしまだなお何もない空間を指差し、じじ!じじ!と叫んでいる。

じいじが恋しいのかと思い、じいじのいるソファーまでつれていくとまた和室に戻ってくる。

和室の入口をあけ、網戸を見た瞬間

 

あーー!

と嬉しそうに叫び、網戸に猛突進。

今度は指をさすのではなく、網戸をばんばん叩きながら

 

じじ!じじ!じじ!

と叫ぶ。さっきまではベランダより2mほど離れた木に視線があったのだが、今回は明らかに目線が目の前だ。

 

じじ!じじ!じじ!!

バンバンバンバン!

 

なんだか怖くなって急いで窓をしめた。

すると寝ていたいとこが急に起き上がった。

どうしたの?と聞くと

 

爺ちゃんが夢にでてきた

って。爺ちゃんは13年前に亡くなってて、いとこもよくしてもらってた。

盆だったし、帰ってきてたのかなーと思ったが

 

爺ちゃんが、変なやつは相手にしたらだめだって、爺ちゃんが守るからって

だって。

いとこの娘が見たのは爺ちゃんだったのか?

 

長い割に怖くないww

長文すまん

 

【思い出と後悔】「おじいちゃんがなぁ、『これで最後やし・・・』って言ってなぁ・・・」

 

昨年ガンが転移しもう手遅れとわかった祖父が今年の14日に逝った。

ガンと知るまでは「腰が痛い」と夜中に起きてくる祖父に対し、

辛辣な言葉を投げつけ部屋を移動し受験勉強をしていた。

 

大学に受かったとき「良かった」と一番喜んでくれたのは祖父だった。

「夏を越せないかもしれない」そう医者に言われていた夏になった。

病院の個室でエアコンもきいているのだが徐々に弱っていく祖父がいた。

俺は体育会の厳しい部活が毎日あり、ほとんど家に帰れなかった。

 

それでもなんとか秋になり、少し持ち直した。

ガンは神経を侵し、腰の骨を溶かしているという。

痛みを止めるために打つ強いモルヒネ・・・副作用で意識が薄れていた。

緩和ケア病棟というホスピスのようなとこに入り、ただ痛みをとる治療が始まった。

食事もとれず点滴だけの祖父はいつの間にか骨と皮だけになっていた。

「もう死にたい・・・」と看護する母に何度も訴えた。

 

1230日、「家に帰りたい」と祖父がつぶやいた。

「医者と相談して帰れるうちに帰ろう」ということになり、たくさんのモルヒネを渡されて帰宅した。

 

庭につもった雪を見て「綺麗だ」とつぶやいた祖父。

 

熱で朦朧としながらも家に集まった親戚一人一人に握手をした。

そして14日、祖母との結婚記念日を待つかのようにして朝方静かに旅立った。

傍で寝ていた家族を起こすことなく、痛みがなくなったかのように安らかな寝顔だった。

 

祖父からもらったお年玉・・・四万円。

葬儀が終わった後、開けてびっくりした。

「お父さん、おじいちゃんがこんなに・・・」

「おじいちゃんがなぁ、『これで最後やし・・・』って言ってなぁ・・・」

・・・涙が止まらなかった。思い出と後悔が湧き出てくる。

俺は祖父に育ててもらったようなものなのに思春期を迎えてからひどいことばっか祖父にしていた。

 

「死」を意識しだしてから祖父は何を思ったのだろう。

最後に家に帰宅したとき何を感じたのだろう。

おじいちゃん・・・俺、おじいちゃんみたいに立派になるよ。

葬儀に何百人も来て泣いてくれるような、そんなおじいちゃんを尊敬する。

ごめんな、あんま会いにいけなかってごめんな。

夢にでも出てきてくれないかな??

会いたいです。謝りたいです。

【泣ける】俺が精神的にも金銭的にも追い詰められとる時、お前をなでたら絶望的な気分が少しマシになってた

 

犬が死んだ。

朝、俺が仕事行く時は、元気に尻尾ふりながら、近づいてきたのに。

遅刻しそうで時間なかったからいつもみたいに頭や体、グシャグシャって撫でたのかどおかもおぼえてない。

朝飯の卵焼きを一口食わしてやった事しかおぼえてない。

そんなんが最後かよ。

急すぎて、死んだって聞いた瞬間意味不明。

ことばも、腹をなでなでできへんのやな。

膝枕してやるのも、顔じゅう舐められて起こされる事もないんやな。

 

ペットが死んで生活や精神状態におっきな支障が出る人とか、今までよくわからへんかった。

そこまでペットに感情移入できへんって考え。

けど、お前に死なれて初めてわかったわ。

切ないし、むなしいし、悔しいし、涙出るし。

死んだその日にこんなん言うのアレやけど、また犬飼いたい。

つうか飼う。

こんな悲しいのに、そぉやって思えるの、お前のおかげ。

 

家庭内でほんま嫌になる事ばっか続いて、皆がまいっとる時、家族皆がお前に癒されました。

お前が家に来てなかったら、今ごろ家族バラバラなっとるかもなぁって思うわ。

俺が精神的にも金銭的にも追い詰められとる時、お前がいつもみたいに尻尾ふりながら近づいて来て、いつもみたいにお前をなでたら、なんか知らんけど涙出そうなって、その後、絶望的な気分が少しマシになってた。

短かったけど、俺や家族にお前がくれたものは、本当に大きい。

こんな事を書いても人間違うし、死んでしまっとるお前にはわからへんやろおけど、ほんまにありがとうな。

『繋がらない電話BOX』「おとーたんかえせー」【怖いけど良い話】

当時嫁と3歳の娘が居て幸せな家庭だった俺の話

収入こそたいして多くはなかったけど幸せな家庭を築いていた

 

ただ、8年勤しんだ仕事は賃金が下がり上司や同僚もリストラにあい

個々人の仕事量事態は増え、私は心身ともに疲弊の一途を辿っていた

 

最近夜遅いのね身体は大丈夫?と嫁に心配され

食事もろくにとれず体重も10kg減りかなり苦しい状態だった

 

最愛の家族を養う為にも働かなければと日々頑張っていたのだが

一度職場に向かう途中で倒れ、気が付くと病院のベッドの上で点滴を受けていた

 

幸いかどうかはわからないが私が病院に搬送されたことを嫁は知らされていなかった

家族に自分のことで無闇に心配をかけたくなかった

 

751 2 sage 2012/08/08(水) 03:06:10.11 ID:HwYxjIUL0

会社に連絡して事情を説明し、その日と翌日に休暇をもらった

医者によると過労と心身症であるといい偏頭痛もおそらく精神的なものに起因し

一日入院する方が良いとのことだったが娘の顔を見たかったので帰宅する旨を伝えた

 

医者からは少しの間会社を休んだ方が良いのではと提案されたものの

同僚がリストラにあったのを目の当たりにしてからは仕事をしないことは恐怖でしかなく

私の中では早く仕事に戻らなければという気持ちしかなかった

 

だが、医者からの休息の提案は杞憂であり、後日職場に復帰した際に直属の上司から

リストラの対象として私は失業せざるおえないことを聞かされた

昼までは引継ぎやデスクの整理をしていたように思う

 

そこからの記憶は曖昧で、電車に揺られ幼少期に家族で行ったある観光名所に来ていた

どうしていいのかわからず頭の中も真っ白で自分がすごく惨めで矮小な存在に思えた

 

日本海に面したその観光所に着いた頃にはもう土産屋なども閉まっており

暗闇の中で青白い日本海が眼前に雄大な姿を映しており波の音が聞こえていた

 

私は色々なことにとても疲れていて物事を深く考えれていなかったんだと思う

断崖絶壁から海を見たらなぜか頬を涙がつたっていた

 

 

752 3 sage 2012/08/08(水) 03:06:43.20 ID:HwYxjIUL0

ふと辺りを見るとボーっと光を放っている部分があった

光の主は電話BOXだったのだが、なぜか青く光っており気づけば私はフラフラとそこに向かっていた

 

自殺の名所としても有名な観光所だけあって、電話BOXの中には

多量の10円玉と何種類ものタバコがむき出しで置いてあった

そういえば娘の妊娠がわかって以来ずっと吸っていなかったなと思いタバコを手にとった

タバコに火をつけ、電話BOXの中で私は再び泣いた

 

電話BOXの中で座り込んでたら誰もいないはずの外から人の気配を感じ

耳元で「電話鳴ってますよ」という声が聞こえた

 

辺りを見回しても誰もいないし幻聴かとも思ったが

不思議なことに電話BOXの中で着信音がなった

会社を出てからは電源をOFFにしていた私のケータイだった

 

757 4 sage 2012/08/08(水) 22:32:47.61 ID:aYf2RlGy0

 

「あなた何してるの!?どこにいるのよ!?」

 

と嫁の泣きじゃくる声が聞こえた

嫁が色々と質問してきて私はリストラやその前に過労で倒れたことなどを話した

そして娘の声が聞きたいと私は言った

受話器の奥で嫁が娘の名前を呼んでいるのが小さく聞こえたと思うと

 

 

「おとーさんをかえせー!!おとーさんをかえせぇー!!」

 

 

という娘の叫び声が私の鼓膜を刺激した

気づけば私は号泣しながら娘に

 

「ごめんなぁ‥ごめんなぁ‥」

 

と、ただひたすら謝り続けていた

 

 

758 5 sage 2012/08/08(水) 22:35:15.53 ID:aYf2RlGy0

再び嫁にかわり

 

「今ちょっと遠いところにいるけど今から帰るよ心配かけて本当にすまない」

と言い、しっかりとした足取りで私は岐路についた

途中から乗ったタクシー代で失業決定直後から随分な出費になったものだ

 

 

今は別の仕事に転職して、娘はもう小学校中学年になっている

嫁もパートで働きながら家族三人で中睦まじく暮らせている

ただ、不思議なのは電話BOXで聞こえた声と切っていたはずのケータイが鳴ったこと

あと、嫁が電話している時に娘がどうしてお父さんを返せと叫んだのかを聞いたそうだが

その後も娘はずっと泣きながらお父さんを返せと繰り返し、そのまま疲れ果てて寝てしまったらしい

 

後にも先にもこういった不思議な体験はしていないので

結局のところあれらは当時の私の精神的なものが原因だったのかもしれないが

あの場所に電話BOXを置いて下さった方のおかげで今の私があり、

私を導いてくれた電話BOXの青白い光のおかげで今この家族があるのです

 

 

連続投稿3回までとか知らずに少し体験談を書いてみたら途中でカキコミできずに驚きました

特に怖いというわけではないのですがどこに書けば良いのかもわからずこちらに書きました

 

長文・駄文失礼しました

 

759 本当にあった怖い名無し sage 2012/08/08(水) 22:44:21.41 ID:aYf2RlGy0

今でも何かあったら娘の

「おとーたんかえせー」(文章ではわかりやすく書いたけど当時の娘が実際に言ったセリフ)

を思い出して頑張れる

 

自分が向かった自殺でも有名な観光場所はわかる人にはわかると思います

 

774 本当にあった怖い名無し sage 2012/08/09(木) 14:54:45.25 ID:6MBByrtL0

>759

福井県の東尋坊じゃね?

自殺しに」いった訳じゃないが、あなたと同じ経験したよ。

電源切ってた電話が鳴ってあせった・・・

 

>>774

よくわかりましたね

あなたも電話鳴ったのですか

ふむ、やっぱりあそこは何かあるのかもしれませんね

多分私が入った電話BOXも見られているのでは

 

少々でしゃばりましたがこれで名無しに戻りますので皆さんまったりいきましょう

 

【母の暖かさ】「人のためになることをしろ」と子どもに教えてきた母がいざ最終同意の段になったら、ものすごく険しい顔で心配しだした。

うちの母は、小さい頃から「人のためになることをしろ」と子どもに教えてきたのよ。

だから、大人になってなんの疑いもなく骨髄バンクに登録したんだ。

知らせたら「それはいいことだね。いつか提供できるといいね」と言っていた。

 

で、ドナーに選ばれてさ。

「その人が元気になれるといいね。登録しててよかったね」

と母は言っていたわけよ。自分でもそう思ってた。

 

ところがですよ。いざ、提供の最終同意の段になったら、ものすごく険しい顔で

「心配なんです。後遺症が残るんじゃないか、本当に無事に終わるのか」なんて言い出した。

何言ってんだよ。俺が登録するって言った時も、ドナーに決まったって言った時もずっと賛成してたじゃんか。喜んでたじゃんか。

 

そう言ったら、言うわけよ。

「心配なんだよ、親なんだから。お前が心配しなくていいって言ったって、親なんだから心配するんだよ!」

だから、俺は言ってやった。

「極当たり前に、人のためになることをしようと思えるように俺を育てたのは母さんたちだろう。心配ないよ、絶対大丈夫だって」

それで、提供の入院するときも、完全看護なのに毎日見舞いに来てくれてさ。

いらないって言ってるのに、心配だから行くんだって怒るんだよ。

まったく、勝手だよな、親ってさ。

 

で、無事に骨髄採取してさ。そしたらさすがにショックで血圧下がって、氷みたいに体が冷たくなっちゃってさ。

電気毛布とかかけられて寝てるとき、母が手を握り締めてきて、言うのよ。

「無事に終わってよかったね」

手が、ものすごくあったたかった。 きっと、あのあったかさは忘れない。

【親からの手紙】大したことは書いてないだろと思ってた

小中どっちだったか忘れたが2泊3日林間学校の2日目、寝る前に担任教師が親からの手紙を全員に渡した

周りにいた奴は笑ったり黙ってたりで俺も大したことは書いてないだろうと思ってた

だが内容は俺が生まれたことがとても嬉しかったとか体は一生ものだから気をつけるんだよ、とかそういうものだった

本当に心配して貰ってるんだなとわかってボロボロ泣いた、心からありがとうと思った

青臭い思い出だがあの時のことを思い出すと今でも泣ける

【良い話】「人間はね、お金じゃなくて、人や気持ちが財産なんだよ」 

うちの親達、漏れが生まれてから

休まずにもう30年以上、夫婦で食い物屋をやってるんだ

その間、人に騙されてかなりの額の借金を背負ったりして

本当に苦労ばかりしててね

 

でも、人をうらんだりする姿なんて二人とも一度も見せなかった

そして漏れら兄弟数人の事、大事に育ててくれたんだ

いつも働きづくめで金策で泣きそうになってたはずなのに

 

自分が大人になった時に、父親がこう言ったんだよ

「人間はね、お金じゃなくて、人や気持ちが財産なんだよ」って

 

年に2~3日しか休まず長い間ずっと頑張ってきた事

それだけでも本当に尊敬してるのに

金関係でかなり苦労もしてきたのに

人に騙される事も何度もあったのに

こういう風に言える親を、漏れは心から尊敬してる

滑り込んできた電車に飛び込もうと身構えた瞬間に 【いい話】

ホームに滑り込んできた電車に飛び込もうと身構えた

 

その瞬間、隣のOLが先に線路めがけて飛び込んだ。

あっと言う間の出来事だった。

思わずそれに続いて俺も飛び込んだ。

急ブレーキをかける音が駅一帯に広がった。

ほんの数秒間ホーム全体が静寂に包まれた。

少々のかすり傷で俺と彼女は救出された。

またたく間に拍手と喝采で周りはにぎわった。

 

あれから5年後俺達は3人の子宝に恵まれ

ささやかながら幸せな毎日を送っている。

 

俺の妻となった彼女には、あの日自殺を図ろうとホームに

立っていた事は冥土の土産にする予定だ。

 

今は妻に俺の命を救ってくれたことを心より感謝している。