息子はある条件を出してきた。 「この山に居る間は僕の言う事を聞いて」
ある夏休み。
今年で中学2年生となった息子は学校から持ち帰ってきた上履きやら体操着やらの袋をタスキにかけ、汗だくになって玄関に立ちすくんでいた。
からまって取れなくなったらしい。
荷物を放り出すと、早速友達の家に行くそうだ。
なんでも夏休みの予定を相談するんだとか。
その予定に宿題も組み込んでくれると良いのだが・・・
可愛い一人息子なだけあって、どうにも甘やかしてしまう。
夕方になり、帰ってきた息子はご飯を食べるとすぐに寝てしまった。
翌日早朝、なにやらとなりでごそごそと音が聞こえる。
なんと私より先に息子が起き、布団を畳んでいるのだ。これが夏休みのパワーか。
驚愕する私に気づいた息子はこんなにも早く起きてしまった理由を話してくれる。
「なんかねー変な夢見たー」
「山の中を走るの。すごいスピードで」
これはもしかして、夏休みに山に出かけたいとか、そういったアピールなのかな?
その時は深くも考えずに流していました。
「じゃ、おばあちゃんちは山だし、仕事がお休みになったら行こうか」
「うん!」
それからは息子は朝起きると毎日山の話をしました。
こっちには祠があるだとか、こっちには川があるだとか、吊り橋は怖いだとか。
山へ行くのがそんなに楽しみなのかしら。
そして、とうとう帰郷する当日の朝。
「今日はどんな山の夢を見たの?」
息子は何も答えません。
「・・・行きたくない」
「え?急にどうしたの?」
急にそんなこと言ったって、家には誰も残らないし、面倒を見る人が居ない。
「どうしたんだ?何かあったのか?パパに言ってごらん」
夫が聞いても「行きたくない」の一点張りだ。
遂には泣き出してしまった。
この年にもなってこんな風になるのは初めてだ。
しばらくすると泣きつかれたのか、ソファーで寝てしまった。
今のうちに・・・後部座席に乗せると車を出発させた。
高速を使い2つほど県をまたぎ、森が濃くなってきたあたりのインターで降りる。
山間だからだろうか、日が落ちるのも早く感じる。
そろそろライトをつけた方が良いだろうか。
「止まって!危ない!」
後ろで寝ていた息子が急に大声を上げた。
言われるがままに路肩に停車した。
「急にどうしたんだ?また怖い夢か?」
「・・・木が倒れてて危ないから」
木なんて倒れてない。
「行きたくないのは分かったが、嘘は良くないぞ」
「このカーブを曲がり切った所」
少し進むと本当に木が倒れていた。
「なんで分かったんだ?」
息子は早く家に帰ろうの一点張りだ。
こんな時間から出発したら到着するのは真夜中になってしまう。
それにここまで来るのだって相当疲れてしまった。
せめて一泊してからにしよう。
そう説得すると息子はある条件を出してきた。
「分かった。じゃあ、この山に居る間は僕の言う事を聞いて」
どんなわがままを言われるのか分かったものでは無い。
拒否しようと息子の顔を見たが、ふざけているような様子は無い。
何かを決心したかのような、目の奥に強い意志を感じる。そんな表情をしている。
「・・・分かったよ。お前を信じよう」
「まずは車のエンジンを止めて。ライトも切って」
言われるままにする。
「今の時間は?」
「8:30だよ。夜の」
しばらく考えるような素振りをする。
「まず、9時までこのまま待機。外から見えないように頭は引っ込めといて」
「・・・見えないようにって、何から?」
「いいから、言う通りにして」
何もしないで待つというのは存外長く感じるものだ。
もう30分たったかと思い時計を確認すると、まだ半分ほどだった。外から音が聞こえる。
足音のようだが、数が段々と増えている。大勢が列をなして歩いているようだ。
それからしばらく続いた足音も段々と遠のいていく。
時間はもうすぐ9時になろうとしていた。
「もういいよ。エンジンかけて、この先を右折して真っすぐ行くとお店があるから」
息子はここへは来た事なんて無いはずなんだが、地形を把握しているようだ。
「油揚げを買って。あるだけ」
「こんな時間に店やってないだろ」
「裏手に回って。お願いすれば大丈夫だから」
それからも理由が良く分からない指示ばかりだ。
今度は祠に迎えだの、油揚げをお供えしろだの。
結局おばあちゃん家に着いたのは日が変わる頃だった。
「寝るときは頭こっちに向けて」
「窓には近づき過ぎないで、届くから」
夜中も例の足音が聞こえる時があった。
一体なんなんだ。私たちは何から隠れてるんだ・・・
朝だ。あまり眠れなかった。
息子はおばあちゃんの手伝いをして朝食を運んでいた。
「食べたら帰るからね」
いやいや、もう明るくなったし、おばあちゃんにも悪いし・・・
「何もこんな時期に来んでも良かったのに・・・大人しく帰っとき」
おばあちゃんまで息子と同じ事を言う。言う通りにしよう。
「いやー、大変だった。じゃ、僕は寝るから」
山から出たあたりで張りつめていた緊張が緩んだのか、息子は寝てしまった。
一体何だったのか?息子もおばあちゃんも何も教えてくれなかった。
バックミラーに映る山を見て、考える。
ちらりと犬のような動物が見えた、いや狐だろうか。
悠然と山へ戻っていく姿が見える。
まるで一仕事終えた後のようだった・・・