洒落にならない怖い話まとめぽぽぽ・・・

怖い話にはいい話もあるんだよ?

【取っ組み合いの喧嘩】「お母さんは私のお母さんなんだぞ、世界一のお母さんなんだぞ!

私は継母なんですが、、、

娘がまだ小学1年生の時、怪我して泥まみれで帰ってきたことがありました。

何でも同級生に、

「お前の母ちゃんままははなんだろ?本当の母ちゃんじゃないんだろ?」

 等と4人組にいじめられて来たとのこと。

 

それで、娘が泣きながら私に、

「お母さんは私のお母さんなんだぞ、世界一のお母さんなんだぞ!」

と取っ組み合いの喧嘩をしてきたんだと。

 

娘が私に

「お母さんは私のお母さんだもんね。私お母さん大好きだもん」

と泣きながらも笑顔で抱きついてきたのが、すごく嬉しかったし、泣けた。

 

立派に二十歳になって、今じゃくだらないことで喧嘩もしますが、

この子の母になれて本当に幸せです。

初めて貰ったお年玉 (´・ω・)

 

うちは貧乏家族でお年玉を毎年もらえなかった(´ω・)

小6の元旦の朝初めて父親からお年玉を貰った。

中身は500円玉1枚と手紙。

手紙には「今までやれなくてごめんな。これでビックリマンチョコでも買いなさい。」と

書いてあった。俺は嬉しくて布団の中で泣いた。

23歳になった今でもその500円玉を持ってる

【本当のお母さん】ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。

俺を生んでくれた母親は俺が2歳の頃に死んだ。

 

後の親父の話では元々、体が丈夫な人じゃなかったらしい。

俺が6歳の頃に親父が再婚して義母がやってきた。

 

ある日、親父が「今日からこの人がお前のお母さんだ」といって連れてきた。

新しい母親は俺を本当の子供のように可愛がってくれた。

 

家族とか血縁とかまだ分からない頃の俺にとって義母が本当の母親だった。

それから、何年か経ち俺が中学の頃、今度は親父が事故で帰らぬ人となった。

 

親父の葬式の席で親族が集まりこれからの俺たち家族の事で話し合うことになった。

親父の両親(俺から見て祖父母)は既に無く親戚づきあいも疎遠で葬式には親父の親族は誰も来なかった。

後から知った事だが親父はガキの頃に両親を亡くし親戚中をたらい回しにされ。

おまけにひどい扱われようだったらしい。

そんな事もあり自分が大人になって働き出してからは一切、縁を切っていたらしい。

まあ、そんな状況もあり今後の俺たち親子の事を生母、義母側双方で話をする事になった。

 

元々義母の両親は義母と親父との結婚に反対していた。

まぁ親としては娘の結婚相手にコブ付きだとやっかむの当然かもしれない。

また生みの母の両親は、まだ若い義母の事を考えて俺を引きと取ると言い出した。

 

双方の親の利害が一致して俺は生母の家に引き取られると決まりかけた時。

それまで双方の話を聞くだけだった義母が口を開いた。

 

「この子は私の子です。例え血が繋がって無くても私の子供です!」

「お願いですから、この子は私に任せてください。」

 

物腰の柔らかい義母が珍しく語気を荒げていた。

出会ってからはじめて見たそんな義母の姿に俺は驚きを覚えた。

最初は難癖を付けていた双方の両親も最後には義母に折れる形となり。

俺は義母と二人で生活することになった。

稼ぎ頭の親父が死んで義母は必死で働いた。

受験で大変な時期の俺を育てる為に必死で働いてくれた。

 

高校3年の時、俺は家の事情もあり進路は就職すると決めていた。

しかし、その話を聞いた義母は

 

「大学に行きなさい。」と言った。

「お金は母さんが何とかするからあんたは大学に行きなさい。」

 

なんで、実の息子でも無いのにそんなに俺に一生懸命なんだろう?

俺は半ば呆れながらそんな義母の言葉が嬉しくて思わず泣いてしまった。

 

そんな義母の言葉に背を押され少し遅れて受験勉強。

家の事情を考えると浪人は出来ないし、そんな事で義母を落胆させたくなかった。

元々、勉強は出来るほうじゃないので入れた大学も大した大学じゃなかったが

それでも合格と聞いた義母の涙混じりの笑顔は今でも忘れられない。

 

大学に入ったが俺は生活費分ぐらい自分で何とかしようと決めていた。

高校の時もそうだがアルバイト三昧の日々で良く留年しなかったものだと今でも不思議に思う。

 

大学も何とか無事に四年で卒業が出来、就職も決まり俺は晴れて社会人になった。

最初の初任給で義母にプレゼントを買った。

さすがに俺のプレゼント(たいしたもんじゃないけど)には参ったのか

ありがとう、ありがとうと言いながら泣く姿に俺も思わず貰い泣き。

ほんと、感謝しなきゃならないのは俺の方です。

 

それからは二人でつつがなく暮らしていたが、俺も30の手前で結婚したい相手が出来た。

最初は俺の結婚を義母がどう思うかと思っていたが大喜びで歓迎してくれた。

 

「あんたもこれで一人前だね」

と言われて照れくさいやら恥ずかしいやら。最初は一緒に暮らそうと言ったが

「お嫁さんに悪いから母さんはここで暮らすよ」と断られる。

 

いやいや、かみさんも賛成してくれてるんだけど...。

何度か話はするもののの結局、離れて暮らすことに。

 

でも、結婚して一年経って義母が倒れた。

幸い大事に至らなかったが、今後、同じ事が有ってもいけないと思い。

断っている所を半ば強引に同居することに。

その間、孫の顔も見せることが出来たしかみさんとも上手くやってるしで本当に幸せそうだった。

 

でも先月、その義母が他界。

くも膜下出血であっけなく死んでしまった。

 

通夜の席でかみさんが義母の話をしてくれた。

正直、この年になるまで義母のそれまでの人生を聞いたことが無かった。

かみさんは義母から色々、聞いていたらしい。

 

義母は親父と結婚する前に子供が生めない体だったらしい。

 

最初はそんな事もあり結婚を断っていたそうだが、親父はそんな事情を承知で

「俺たちには子供がいるじゃないか、俺の息子の母親になってくれないか?」

の言葉に義母は涙ながらに承諾

 

親父も人前も憚らず泣いていたそうで。義母曰く

「あんなみっともないプロポーズは無かったけど嬉しかった」との事

 

 

その話を聞いて俺はやっと理解できた。

 

 

そして言葉にならなずに涙だけが溢れて仕方が無かった。

今までかなり泣いたけど息が苦しくなるほど泣いたのは初めてだった。

ぶっきらぼうな親父の優しさもそうだが親父のプロポーズを最後まで純粋に受け入れた義母に

言葉に出来ない思いがこみ上げてきた。

 

かみさんもそれ聞いた時は涙が止まらなかったそうで俺に話しながらまた号泣。

子供たちも泣いてる俺たちを見てつられて泣き出す始末。

 

義母いや、母さん、血は繋がってないけど貴方は俺にとって本当の母さんです。

生みの母には悪いけど、俺にとって貴方以上の母はいません。

 

 

親父、そっちで会ったら誉めてやってください。

貴方が選んだ人はとても素晴らしい人でした。

最後に母さん、もし生まれ変われるならまた貴方の子供に生まれたい。

 

今度は貴方の本当の子供に生まれ変わりたいです。

突然に逝ってしまって改まって感謝することが出来なかったけど、本当にありがとう。

休まず働く母 休むのは月に3回あればいいほう。あれから20年。なんで・・・

どこにかいたらいいかわからんからちょっと書かせてくれ

昨日4時22分に母が亡くなった

風邪一つ引かない元気な母だった。

 

僕が幼稚園に入るころもう父はいなかった。

借金作って逃げたらしい。

朝は4時に起きて俺らの弁当作って6時から17時まで弁当屋でパート。

帰ってきたら晩飯作ってすぐに出て行って11時までパチンコ屋で掃除のバイト。

休むのは月に3回あればいいほう。

そうやって僕と妹は育てられた。

 

反抗期なんてほぼ無かった。

あんなに頑張る母親を見て反抗なんてできるはず無かった。

 

 

いや・・・一度だけあった。

 

 

クリスマスの2,3日前ゲームボーイが欲しいとねだった。

友達がみんなゲームを持っていたのに自分だけ持ってないと苛められると。

何故あんな嘘をついたのだろう・・・。

 

母は「ごめんね・・・」と顔をくしゃくしゃにして泣いた。

僕も何故か悲しくなって家族3人でボロボロ泣いた。

その日は3人とも同じ布団で抱き合って寝た。

 

クリスマスの日の夕食はおでんとケーキだった。

母親は子供のようにはしゃぎ、歌い、最後に「はい」とプレゼントを渡した。

古いゲームソフトだけを買ってきた。

「これだけじゃできないんだよ」と言おうとしたけどうれしそうな母の顔を見ていえなかった。

 

あれから20年、兄妹そろって大学まで出してくれた。

 

俺も妹ももう就職したしこれからは楽させてあげるから仕事やめなよ。っていったのに。

働いてなきゃボケるって・・・そんな年じゃないだろう。

どっか3人で旅行にいこうよっていってたのに。

妹の結婚式みるまでは死ねないっていってたのに。

 

なんで末期癌になるまで働くんだよ・・・。

何度も病院いこうって言ったじゃないか。

先生もいってた「あんなに我慢強い人見たこと無い」って。

看護婦さんに「迷惑かけてごめんね」ばっかり言ってたんだってな。

いっつも人のことばっかり気にして・・・。

震える手で書いた枕もとの手紙・・・読んだよ

 

「耕ちゃんへ

小さいころはいつもお手伝いありがとう

あなたはわがままをひとつも言わないやさしい子でした

妹の面倒も沢山見てくれてありがとう

あなたが生まれてきてくれてほんとうにうれしかったよ

あなたのお嫁さんを見たかった

 

梓へ

女の子なのにおしゃれをさせてあげられなくてごめんね

いつも帰ったら「ぎゅっとして」といってくるあなたに

 何度私は救われたかわかりません

あなたはあなたを愛する人を見つけなさい

そしてその人のために生きなさい

 

 

死は誰にでも訪れるものです。

悲しまないで

 

あなたがもし辛いことがあったらいつでもあなたの枕元に立ちますよ なんてね

 

あなた達の母親で良かった

また生まれ変わってもあなた達の母親でありたい。

それが私の唯一つの願いです

体に気をつけて。

 

 

 

 

 寒いからあたたかかくして。

 それから・・・それから・・・きりが無いからやめとくね

 たくさんたくさんありがとう」

 

お母さん・・・手紙涙でにじんでボロボロだったよ。

だから紙を買ってきてくれっていってたんだね。

 

お母さん・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう・・・

 

まだ遊んでるよ。

プレゼントしてくれたスーパーマリオランド

【アウトレット】1年位前からずっと行きたい行きたいうるさいカーチャンと買い物に行った。

海外留学が決まって身の回りの物を買いにカーチャンと

御殿場アウトレットに行った。

カーチャンも1年位前から買い物がしたかったらしくてずっと

行きたい行きたいうるさいから俺が車運転して行ったんだよ。

別行動になって俺は服ばっか見ちゃってカーチャンからメシの誘いも

あったんだけど断って買い物を続けた。

結局服ばっか買っちゃって生活用品ほぼ買わないで待ち合わせの場所に

行くとカーチャン全然来ない。

やっと来たと思ったら1時間遅刻、俺は渋滞の事もあってカーチャンを凄い責めた。

しかも買い物全然してなくて何してたんじゃと。

 

後日、荷物が送られてきた。送り主は御殿場アウトレット各ショップ。

俺が買う予定だったものばっか入ってた。

 

カーチャンはしたがってた自分の買い物もしないで俺の生活用品を買ってた。

 

カーチャンが俺が箱開けてるの気づいてきまずそうに笑いながら、

「頑張ってらっしゃい」

って言ってくれた。俺は外に出て泣いた。

カーチャンありがとう。

俺、頑張ってるよ。

今日仕事帰りに見た、二人の後姿に、少し泣いた。

今日仕事帰りに見た光景。小学1年生くらいと3年生くらいだろうか、

頭ひとつ分くらい違う兄妹らしき二人が、車道と歩道が分かれていない道の右端を歩いていた。

お兄ちゃんと思しき子は、自分が車道側になり、妹には建物の方を歩かせ、しっかり手をつないでいた。

結構交通量の多いところで、お兄ちゃんを頼って一生懸命歩く妹、小さいながらに妹を守ろうとする兄、

二人の後姿に、少し泣いた。

【不思議】夢に双子の妹が出てきた。1人っ子だったんだけど、子供ながらに何か確信みたいなものがあって母に問い詰めたら・・・

小学生の頃いきなり夢に双子の妹が出てきた。

1人っ子だったんだけど、子供ながらに何か確信みたいなものがあって

母に聞いてみたらめちゃくちゃ泣かれた。

どうしても探したくて、自分で書いたポスター(妹を探しています、みたいなやつ)を電柱や民家のドアに張りまくりさらに泣かれた。

小さい村で生まれたから噂は一気に広まり広報の人が家にまで来る始末。 とんでもない事をしてしまったと気づき泣きながら謝ったけどすでに遅く、根も葉もない変な噂がたってしまい引っ越す事になった。

 

それから何となく母と折り合いが悪くなり、高校を卒業してすぐ家を出た。

そしたらバイト先(ファミレス)で妹に再会。見た瞬間分かった。向こうも私の夢を見ていたらしくずっと探してくれていた。

 

二人で手を繋いで母の元へ帰った。

色んな事情があって片方を養子に出さなきゃならなかったと聞き、これから三人で楽しくやっていこうと笑い泣きしながら話した1ヶ月後、母が死んだ。

 

私達は仲良くやってます。

あの頃問い詰めてり恥をかかせたり、苦労かけて本当にごめんなさい。

【学校】手を入れる隙間から手がでていた【跳び箱】

何年か前にちょっとだけ、 

ボランティアというかお助けで、 

地元の公民館に週2で行ってたんだ。 

昼過ぎから夜まで子供たちが学校帰りに遊びに来るんで、 

その監視と片付けを手伝ってた。 

で、そこにはおもちゃとか室内用の一輪車とか 

けっこう豊富にあるんだけど、 

その中でも一番でかくて、貫禄があるものがあって 

それが「跳び箱」だった。 

10段くらいあって、 

なんで跳び箱がここに?って最初は思ったんだけどね 

薄汚れてて、おもちゃ入れる倉庫の隅にぽつんとあった。 

近くの廃校になった学校から譲り受けた物と聞いた。 

2年くらいお手伝い続けてたけれども、 

私情で引越すことになった。 

その日が最後のお手伝いっていう日に 

子供たちは手紙とか折り紙で折ったお花とか 

お別れの挨拶とかしてくれた。 

で、閉めますよ~って言って 

子供たちが全員出たことをいつもの様に確認して 

電気を消して、公民館を閉めようとした。 

 

715 本当にあった怖い名無し New! 2012/07/28(土) 11:17:58.60 ID:zaYnMwyp0

すると、おもちゃをしまってる倉庫から「ガタン」と音がした。 

その後も「ガタガタ」と間をおいて物音がする。 

今までそんなこと無くて、自分が来るのが最後だから、 

子供が隠れて悪戯でもしてるのかなと思った。 

でも、公民館の中は真っ暗。 

もちろん倉庫も真っ暗だったので、 

肝の据わった子だなーと関心してた。 

 

で、もう一度電気をつけて倉庫に向かった。 

扉を開けると、誰かがいる気配はなく、 

さっきまでの物音は嘘のように静まり返っていた。 

でも物音の原因を確かめるためには 

中を見てまわるしかなかった。 

一通り子供が隠れそうなところを見て、 

誰もいないことを確認した。 

最後に跳び箱に目がいった。 

と同時にギョッとした。 

持ち上げるときに手を入れる隙間から手がでていた。 

出てるって言っても指まで。 

人一人分の指が隙間からでていた。 

 

719 本当にあった怖い名無し New! 2012/07/28(土) 11:28:24.81 ID:zaYnMwyp0

まぁびびったけど、指は子供の指だったので、 

「ああやっぱり隠れてたんだな」と思い 

声をかけて跳び箱に近づいた。 

するとスルッと指は跳び箱の中に入っていった。 

見つかったんだから声ぐらい出せばいいのに、 

て思いながら跳び箱を持ち上げた。 

中には誰もいなかった。 

びびりすぎてなにもいえなかった。 

パニックになりかけたけど、そっと跳び箱を元に戻して、 

足早に扉まで向かって電気をけした。 

扉を閉めようとしたとき、音からして明らかに 

跳び箱が持ち上がる音がした。 

もうその後は一目散に逃げた。 

 

読みづらくて長い文章になってもうしわけない。 

『逆恨み』村にはあまり評判のよくない医者が一軒しかなかった・・・

 

爺ちゃんは当時すごい田舎の山村に住んでて

村にはあまり評判のよくない医者が一軒しかなかった

それで爺ちゃんの知り合いの年配の男性が盲腸になって

しかたなくその医者に手術してもらったんだけど

膿の処置が悪かったとかで腹膜炎を起こしてしまったんだ

これは市の病院に運んで腸を出して洗うしかないということになったが

真冬で豪雪地帯なのでバスは動かないし鉄道は最初からない

 

けれど運のいいことに、たまたま村に陸軍の部隊が駐屯していて

事情を話したら馬そりにのせて市まで運んでもらえることになった

それで鎮痛剤を打って毛布でくるんでそりにのせたんだけど

ものすごい苦しみようで、のたうち回るようにして毛布をひっぺがしてしまう

それですごく村の医者を恨んで悪口を言い続けていたという

医者がちゃんと処置してればこうはならなかったのにっていう

逆恨みに近いものだったらしい

 

あまり暴れるんで道中看護兵が一人その人について様子を見てくれてたんだけど

とうとう行軍中の夕方に亡くなってしまった

これはその看護兵がきちんと死を確認して間違いはなかったらしい

それでもう病院に運ぶ必要もないからということで

途中の民家に遺体を置かせてもらい村から人を出してその人の家に戻すことになった

そこで民家の人に事情を話して毛布にくるんだまま

戸板にのせて馬小屋に寝かせて置いた

 

812 本当にあった怖い名無し sage New! 2012/08/17(金) 18:42:23.95 ID:7SbYCgdw0

そして朝になってその家の人がお線香をあげようとしたら

毛布ばかりで遺体がなくなってた

どこで見つかったかというと村の手術した医者の家の前

カチカチに凍りついた状態で両目を見開いたまま

医者の玄関前の雪の中につっ立った状態で死んでた

戸をあけてすぐにそれを見てしまった医者は仰天して腰をぬかしたらしい

それが元になったのかはわからないけど、その医者も一年たたないうちに心臓病で亡くなった

 

上に書いたように看護兵がその人の死を確認しているし

そもそも豪雪の中を夜から朝にかけて歩いてもとうていたどりつける距離ではなかったって

爺ちゃんは強調してた

それから後日談と言えるかわからないけど

その村はずっと無医村の状態が続いていて

村の診療所にいくら新しい医者を迎えても、みな一年くらいでやめてしまうんだそうだ

『車に興味のある霊』ニヤッと笑い変身した【不思議】

 

書くよー。

 

結婚前に今の夫(以後=彼)とぶらぶら山梨方面へ遊びに行った。

遊園地も行ったし富士山も行ったしでくたくたになったけど、

翌日朝からまた仕事があるから、一旦公園で仮眠してから帰ろうということになって

丁度近くにあった城址公園という所に車を入れて、駐車場っぽいところで休もうとした。

 

もう日も暮れて薄暗いからよく見えなかったんだけど、男の人が一人車の近くに居た。

別に公園だし人もいるだろう、覗きでなきゃいいやと思って放っておいた。

でもなんか違和感はあった。

 

眠ろうとして目もつぶっているのにその男が視える感じで落ち着かないから、

彼に「なんかこの公園落ち着かないし嫌な感じがする」というと彼も怖がりなんで二つ返事でその場から立ち退いた。

 

続く

 

903 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/04(火) 00:09:27.06 ID:T+V+K0A50

続き

 

「ホテル泊まりたいけど会社間に合わないもんなー」

(もう夜中だったので。特に意味は無い)てことで、高速の入口を探して乗ろうとした。

もう周りには走ってる車とかなかったから、車のリアガラスの状況なんてよく判らなかったけど、

いつもとなんか変な、違う気がする。

信号で停まった時に振り返ってよく目を凝らしてみた。

見たのがまずかった。

 

続く

 

 

904 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/04(火) 00:17:10.01 ID:T+V+K0A50

続き

 

リアガラスに数人分の腕や手のひら、左後ろ側に頭部があった。

突然の出来事だったので理解できずに、青になった信号で発進した。

何だったんだろうともう一度、今度はルームミラーを見やすいように当て直して視てみたら、

腕や手は蠢いて、頭は体が見え始め、何だか車に乗り込もうとしているようだった。

 

ここでやっと「ギャーッ!」っと叫んで車内が大騒ぎになった。

私が運転していたんだけど(途中で交代してもらおうと思ってたので)もうどうしていいか判らずに

必死に高速の入り口まで行って慌てて券を引きちぎるようにもぎ取って、ぶっ飛ばして本線に合流した。

 

だが運の悪いことににわか雨(ちょうどこの季節、8月です)が降ってきて視界殆どゼロ状態。

でもワイパーガンガン最高速度にして制限速度も無視して飛ぶように逃げた。

 

続く

 

905 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/04(火) 00:29:18.23 ID:T+V+K0A50

続き

 

「ふ~っ、これでもう来ないだろう、大丈夫だよねー」と安心してルームミラー視たら

何だよ、もう!あいつ頑張ってまだ乗り込んで来ようとしてるじゃないかよ!勘弁しろよ!になった。

手は風でか雨でかで飛ばされたのか無かった。しかしどんどん、ゆっくりとだがあいつが迫ってくる!

彼に運転変わってもらおうにもSAPAもまだ随分先の話。私一人で振りきれってのかー!

 

近づいてきたのでよく視えるようになってきたら、サラリーマンがスーツ着てるように見えた。

赤いネクタイに黒禍根のスーツ。でも顔は真っ黒。でもニヤついた口が不気味に綺麗見えた。

とうとう後部座席の背もたれまで来て、私大泣き、彼は放心。

もうこいつにやられて大雨でスリップして死んでしまうのかと諦め始めた。

 

するとうまい具合にSAが!しかもレストランが24時間対応してるみたいで人もいる!やった!

急ハンドルで駐車場に入って車を突っ込んで止め(もうスペース内とか気にしてらんなかった)、店内へダッシュした。

 

続く

 

906 本当にあった怖い名無し sage 2012/09/04(火) 00:42:06.75 ID:T+V+K0A50

続き

 

店の人や他のドライバーは何事かと好奇の目で見ていたがもうお構いなし。

自分たちの車が見える所に席をとって車の中に居たやつを観察。

そいつは霊のくせして速い動きが取れないのか、まだ背もたれのところから進んでいなかった。

ちょっとプッとしてしまったが、これからまた私達に近づくのか、

車に何かするのではないかとビクビクしながら見続けた。

 

あんなドタバタあったせいか、時刻は330分を回ったところだった。

何だか今度は車を物色しているのか、車の外にでてジロジロ見回していた。

車に興味のある霊だったらしい。(この期に及んで生身の人じゃないよね?)

4時を回ろうかって頃、雨も止み、空がかなり白んできた。

するとあのスーツを着た兄さん?はニヤッと笑い、狸に変身した。

マジで。嘘じゃないんだよ、本当なんだよ。

腹のでっかい狸で、変身したあと白い霧みたいのが漂ってきてスゥ~って上の方に消えた。

 

まさか狸に化かされたってこれのことか?って2人で考えた。あの男は何だったんだ?とあの手や腕は?

なんか貴重な睡眠時間削らされた上に怖い思いして事故の危険性もあったのに、最後がこれってどういうことだよ!って思った・・・。

 

あああっちからしたら事故で人が2人死んで仲間にできたら儲けモンとか思ってたんだろうけど、

折角の休みを超無駄にされたこの恨みは20年たった今でも忘れない。

次にあったらとっちめてやる。

 

終わり。

駄文長文すいませんでした。

【除霊】幽霊にお説教をかました彼

64:本当にあった怖いお花:2016/07/30(洪) 03:38:01 id:hAnGryFRP

 

私がむかしお世話になっていた男の人は少し、変わった人でした。

変わった、っていうか抜けている人っていったほうがいいかしら。

 

そんな彼の引っ越し先には、奇妙なことがよく起きていました。

 

誰もいない部屋にゼーハーという苦しげな呼吸音がしたり、床下から突き上げるようにドスドスという音がしたり、ある日は、家中の鏡という鏡にヒビが入ったり。彼は

 

「家鳴りがひどい。欠陥住宅だ」と言っていました。

 

 

 

65:本当にあった怖いお花:2016/07/30(洪) 03:39:52 id:hAnGryFRP

 

けれど私は「それは絶対に霊だ」

 

と思っていました。

 

そんなある日、ネットで調べものをしていたときに、彼の借りている借家で15年前に自殺があった地元新聞の記事をたまたま発見。

 

「やっぱり霊だ」

 

と私が彼に言うと、彼も渋々ながら

 

「霊なのかもしれませんね」

 

と納得。

 

 

 

その日の夜から、彼流の除霊が始まりました。

異音がする度に、彼は布団から出て部屋の真ん中に正座し、

 

「貴方はね、もう死んでいるんですよお馬鹿さん。自分の宗教流儀にのっとって成仏したらどうですか。私に頼られても無駄ですよ。そもそも貴方は迷惑です。

 

無関係な人間に迷惑をかけてでも、自分の希望を押し通すなんて身勝手過ぎます。

 

貴方も、生きている時は社会人だったのでしょう?少しは常識というものを考えてですね‥‥‥」

 

そういうお説教を音が止むまで10日ほど続けたそう。

 

そして、最後の晩、いつものように異音がし、いつものようにお説教をかましていたら、まるっきり人間としか思えないような霊体らしきものが現れ、

 

「申し訳ありませんでした」

 

と謝罪し、異音はなくなったんだって。

以来、彼は「幽霊さえも降参する粘着説教貴族」として密かに讃えられていました。

 

 

 

70:本当にあった怖い普憫:2016/07/30(普) 03:42:39 id:Prussia18

 

なんて野郎だ……

 

 

 

71:本当にあった怖い仙人:2016/07/30(中) 03:42:57 id:SenNniN22

 

徹底的に説教しまくってるある……

「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。」【ほぼプロポーズ】

 

交通事故に遭って左半身に少し麻痺が残り、

日常生活困るほどではないけど、歩くとおかしいのがばれる。

 

付き合い始めの頃、それを気にして一歩下がるように歩いてた私に気付いて

手をつないで一緒に並んで歩いてくれた。

家に帰ってから訳を聞かれて「君に恥ずかしい思いをさせたくなかったから」

って言ったら「どうしてそんな考え方をするんだ」と怒られたので

 

「大好きだった君と付き合えてるだけで幸せだから。

 私と付き合うことで君に少しでも嫌な思いをさせたくないから」

と言ったら泣きながら私の両手を持って目の中を覗き込むようにして諭してくれた。

 

「俺はお前と付き合ってあげてるわけじゃない。

 俺がお前を好きで一緒にいたい、

 付き合いたいと思ったから付き合ってるんだ。

 お前の体のことなんか、ずっと前から知ってたけど、

 一緒に歩いて恥ずかしいなんて一回だって思った事はないよ。

 お前がそんな風に考えてるのが俺は悲しい。

 俺に気を使わないで。自分の事を恥じないで。

 もっと自信をもって胸を張ってほしい。

 ずっと並んで歩こうよ。お前は俺の自慢の彼女なんだから」

 

私のことをここまで思ってくれる人には絶対会えないと思う。

すごく嬉しくて、涙が止まらなかった。

今は、どこに行くときも並んで歩いています。

【母親】何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。

今日はお腹の赤ちゃんと家で過ごす最後の日。

何より大切で誰より愛しかった。初めて人の命が大事だって思えた。

なのに産んであげることできなかった。

ダメなママで本当にごめんね。

先生に無理言って最後のエコー見せてもらったら、

小さな身体全部で一生懸命頑張ってとっても大きくなってたね。

ママ本当に涙が止まらなかった。心から嬉しくて誇りに思えたよ。

 

いまどんな夢見てるのかな。どうかせめて最期まで幸せな夢を見ていてほしい。

 

このあいだ一緒に見た盲導犬クイールの映画、感動したね、

天国でクイ-ルに会えるといいね。きっとぺろぺろ舐めてくれるよ。

いつか私が抱っこしにいってあげられる日まで少しだけ、待っててね。

絶対に、会いに行くよ。どこにいても探し出してみせるよ。

 

でもママ地獄に行っちゃうかもしれないけど

そしたら代わりにママの妹分のわんこにベビを守ってくれるようにってお願いするから。

どうか寂しい思いだけはしないように。・゚・(ノД`)・゚・。

さっきまで遊んでいたTちゃんが・・・そして何年も月日が経ち【洒落怖】

ある日、Tちゃんから、新しいゲームを買ったからうちに来ない?と誘われた。

Tちゃんと遊ぶのはひさしぶりだったが、お姉さんのこととかクラスの子に見られたらどうしようとか考えて、う~んとためらったが、Tちゃんのことが嫌いなわけではないので行くことにした。

Tちゃんと新しいゲームをしておやつを食べて楽しくあそんだ。

トイレに行きたくなり、「Tちゃん、おトイレかしてね!」

Tちゃんの部屋は2階にあり、トイレは1階の玄関前。

何度か借りたことがあったから知っていた。

 

 

932 925 2012/09/10(月) 07:05:28.74 ID:flyr5cpb0

用をたしてTちゃんの部屋に戻ろうとしたとき、玄関の前にお姉さんがいた。

「あこんにちは

お姉さんはいつものようにすこし顔色が悪く、けどいつも通りに「こんにちは。」

部屋に戻ろうとすると珍しくお姉さんが私の名前を呼んだ。

Mちゃん」

「はい」

Tといつも遊んでくれて、ありがとうね。Tは大事な妹だから

「あはい」

そんな会話をして部屋に戻った。

戻るとTちゃんがゲームですごい点数を出していて、お姉さんのこととかすっかり忘れてゲームに夢中になった。

門限まで遊んで家に帰り、夕飯を食べ、寝る支度をしていたとき、家の電話が鳴り、母が出た。

「あら、こんばんわ、今日はMがお邪魔したそうで

Tちゃんのお母さんらしい。

「えええええっ!!まぁまぁそんなまさか

母の声で何かがあったことが伺えた。

そうですか御愁傷様でございます

御愁傷様?誰か亡くなったときに使う言葉だよね?

お姉さん病気だったから、亡くなったのかななんて適当に想像して母を見てた。

 

電話を切って母が教えてくれた。

 

 

 

 

933 925 2012/09/10(月) 07:31:37.40 ID:flyr5cpb0

M…よく聞いてねあのね、Tちゃんが、亡くなったって。」

 

Tちゃんが?

「さっき事故で病院に運ばれたけど間に合わなかったって

「えっ、嘘、だって今日遊んだよ?何で事故

Hちゃん(Tちゃんのお姉さん)の具合が悪くて、お母さんは1日病院で付き添ってたんだって

 

後から聞いた情報も交えて書きます。

お父さんは仕事で遅くなるしお母さんはお姉さんに付き添わなくてはならず、お母さんはTちゃんに電話をして、夕飯はコンビニに買いに行くように話したそう。

Tちゃんは一人で待つ寂しさからか、今日私と遊んだことをすごく楽しかったんだよ~!とお母さんに何度も言っていたそう。

 

電話を切ってお母さんに言われた通り自転車でコンビニに行く途中、事故に遭った。

救急車でお姉さんの入院している、お母さんのいる病院に運ばれたけどもう救急車のなかで息がなかったとか。

 

ショックで私も母も号泣してしまった。

さっきまで楽しくあそんだTちゃんもう死んじゃったなんてとその晩はうとうとはするものの眠れないままでいた。

 

今日Tちゃんと遊んだときに話したこととか一緒に食べたおやつのこととかいろいろ考えていて気がついたんだ。

 

お姉さん、入院していた

 

 

 

 

934 925 2012/09/10(月) 07:48:42.39 ID:flyr5cpb0

お姉さん、確か家に居たよね話したよね

あのあと、具合が悪くなったのかなと、考えた。

なんだか怖くて寒気がし一晩眠れず、私は翌朝熱を出して学校をやすんだ。

Tちゃんのお通夜はその次の日の夕方だった。

私は熱も下がり母とお通夜に参列した。涙が止まらなかった。

学校でTちゃんの陰口を言っていた子も先生もみんな泣いていた。

Tちゃんのお母さんは泣きながらも私を見つけるとそばまで来て、「Mちゃん、ありがとう、Tね、すごく楽しかったって電話で言ってたのよ。最後に楽しい思い出をくれてありがとうね

 

その次の日、Tちゃんはお骨になってしまった。

1週間くらいして、またTちゃんのお母さんから電話があった。

 

今度はお姉さんが、息を引き取ったと

 

935 925 2012/09/10(月) 08:12:29.13 ID:flyr5cpb0

母とTちゃんのお姉さんの葬儀に参列した。

うちの母も、立て続けに娘を二人失ったTちゃんのお母さんを思い、できる限り手伝おう、と葬儀の受付とかを手伝っていた。

 

その後しばらくたって、Tちゃんのお母さんからまた電話があった。

離婚をして、実家に帰るため、家を処分するんだとか。

その前にお世話になったうちの母と私に挨拶をしたい、と。

家に行くと、玄関やリビングはもうすっかり片付いていた。

 

お母さんといろいろ話した。

お姉さんはTちゃんが事故に遭う数日前から入院し、もう長くはないと医者に言われていたんだとか。

「もしかして一人で逝くのが嫌だったHが、Tを先に逝かせたのかしら」とTちゃんのお母さんが言った。

ぞっとした。

そういえばあの日、この家で、入院していたはずのお姉さんに、会ったのだ。

「大事な妹だから」

大事な妹だから、連れていったのだろうか

Tちゃんのお母さんは、もういらないからとあの日遊んだ新しいゲームとその他のソフトを貰ってくれないか、と私に言った。

うちの母も、もらってあげたら供養になるよ、貰いなさい、と。

言われるがままもらうことになった。

 

 

 

 

 

936 925 2012/09/10(月) 09:09:08.41 ID:flyr5cpb0

家に帰り、ゲームソフトを眺めていた。

四角いプラスチックのカゴに入った8本のゲームソフト。

Tちゃんと遊んだ新しいゲームソフトもあった。

遊んだことのないやつも2つあった。

どんなゲームだろう、と後ろを見たりして開けてみる。

すると4つに折り畳んだ紙が出てきた。

広げてみるとそこにはこんなことが書いてあった。以下、原文ママ。

 

『お姉ちゃんばっかりずるい、お母さんはお姉ちゃんばっかり。私はいなくてもいい子なんだね。いなくなっちゃおうかな。

お姉ちゃんのせいで学校でも友達がいない。Mちゃんだけが友達。お姉ちゃんのせい。お姉ちゃんのせい。

お姉ちゃんなんて病気で早く死んじゃえばいい。早く死んじゃえ!バカH!』

 

その紙の間にもうひとつ、紙が入っていた。

白い紙を人型に切り、顔に『広美』、身体中に赤いペンで『しねしねしねしねしねしねしね

 

思わず悲鳴をあげた私にビックリして母が来て、それを見た。

母の目に涙が溢れて、私にこう言った。

Tちゃんは、寂しかったんだねお母さんは病気のお姉さんにかかりきりであんたはいいことしたんだよ、寂しかったTちゃんと遊んであげて、仲良くしたんだから

 

その手紙はTちゃんのお母さんにはつらいものだろうから、内緒にすることと、母も私もこの手紙を燃やして忘れよう、ということになった。

 

そして、見たくもなくなったそのゲームソフトをしまい、何年も経った去年、私は大学に通うため独り暮らしをすることになった。

部屋を片付けて荷造りをしていると、あのゲームソフトが出てきた。

あんなことがあったなぁと思いだし、処分する前にTちゃんを思いだそう、とゲームソフトを見始めた。

懐かしいな

いろいろ見ていると、あの時開けなかった、遊んだことのないもうひとつのソフトが目についた。

何気なく手に取り、開けてみた。

白い4つ折りの紙が出てきた。

デジャブのような感覚に陥り、私は紙を開いた。

 

 

937 925 2012/09/10(月) 09:10:58.81 ID:flyr5cpb0

以下、原文ママ。

 

『最近Mのやつが私に冷たくなった。Mだけが私の友達だとおもっていたのに。Mとはずっと友達だと思っていたのに。どうしたらまたMと友達になれるだろう。今度でる新しいゲームソフトを買ったらまた遊んでくれるかな。

それにしてもMのやつ、ムカつく。他の子と仲良くしてんじゃねーよ!あいつもお母さんと同じ。私がいなくてもいいんだ。悲しい。』

折り畳んだ人型に切り抜いた紙も出てきた。

恐る恐る開いてみる。

顔のところに『M

体のところには

20歳の誕生日に、しね!』

 

私は来月、20歳になる………

 

 

実話です。びびっています。誰か助けて。

「この甲斐性なしっっっ!!!!」ひとしきり笑ったら元気がでた。【良い話】

私が妊娠7ヶ月ごろのこと。

大阪で娘家族と暮らしていたダンナのおかあさんが突然東京にいる私達と一緒に暮らしたいと言ってきた。

義姉は性格がかなりキツく、あきれるほどお金に汚い人で、きっといろいろあったのだろう。

義母は「我が子ながら・・・くたびれた」とつぶやいた。

 

疲れ果てた義母を快く迎えてあげたかったのだが、そのときの私にはかなりの覚悟が必要だった。

なぜなら、ダンナは全く働かず、大きなお腹の私の収入でカツカツの生活をしていたからだ。

生まれてくる赤ちゃんにかわいらしいベビー服を用意してやるどころか、

ダンナの借金もあり、赤ん坊を抱えて今後どうやって働いていくのか先が見えない状況だった。

 

 

が、義姉の「かあちゃんそっちに送るからな!」という一言で私の心は決まった。

母親をまるで荷物扱いの口調が許せなかった。

何不自由ない生活は無理っぽいけど、今より心穏やかな生活はさせてあげれる。

今だって苦労してるんだし、お義母さん一人増えたところで苦労ついでだわ・・・

そう決心すればあとはなにも躊躇する理由はない。

私は最大限の歓迎の気持ちをこめて、義母を迎えた。

 

小さなカバンひとつ持って、駅のホームに降り立った義母の姿を初めて見たとき(この時が初対面)私は心の底から安心感を覚えた。

それは義母に対する同情ではなく、実の母に対する愛情と同じものだった。

初めて会う人にそんな感情を抱くのが不思議だったが前世というものがあるのなら、義母と私はその昔、本当の親子だったのかもしれない。

 

実際、私と義母は本当の親子のように仲がよかった。

よく話し、そしてよく笑った。親子げんかもした。

仕事で遅く帰ってくる私を、義母は寝ないで待っていてくれた。

二人でホットミルクを飲みながら、寝るまでのわずかな時間、義母はアルバムを開いては自分の半生を私に語った。

 

それはむすこであるダンナも知らない話ばかりで、語るというよりも私に伝える作業に似ていた。

 

 

私は女の子を出産した。

義母もとても喜んでくれた。そして私に、

「あんた、次もすぐだよ。次は男の子や。」そういった。

「ええっ!冗談じゃないですよぉ。これ以上はやってけないですよぉ。」

「いやいや。そうじゃない。これは決まりごとだからね。大丈夫。いい子に育つよ。宝物だよ。」

そう言って、義母はにっこり微笑み赤ちゃんにほおずりした。

 

出産したからといって休んでいる暇は私にはなかった。なにせ食い扶持がまたひとり増えたのだから。

飢えさせてなるものか。退院するとすぐにまた働き出した。

そんな生活でも私は確かに幸せだった。

幸か不幸かは自分で決めるものだとつくづく思う。

義母も幸せであったと信じたい。

 

そんな中、義母が突然「大阪に帰りたい」と言い出した。

孫の顔も見せてもらった。

あんたにも会えた。

次の孫の顔を見れないのが心残りだけどしょうがない。

生まれ育った大阪で死にたい・・・・と。

 

とても元気な義母から「死ぬ」という言葉を聞き、不自然な不安を感じたのだが引き止めてはいけないような気がした。

で、義母の気持ちに沿えるように、義母にはちょっと待っててもらってお金の工面をしたり、義姉と交渉したりして、義姉の近所にアパートを借りることができた。

 

義母を送り出した日、手を振る義母の姿を最後にするつもりは毛頭なかったのに。

 

 

 

 

三ヶ月ほど経った頃だろうか。

 

義姉から義母が亡くなったという連絡を受けた。

無意識に覚悟をしていたのか、その連絡を私は厳粛な気持ちで受け止めた。

しかし、お葬式に行き、義母の遺品整理のため義母のアパートを訪れた時は胸をかきむしられた。

 

広告の裏に几帳面な小さな文字で、ここに来てからの家計簿が記されていた。

わずかな年金と、わずかな私の仕送りを細々と書き記す義母の姿を思うといたたまれなかった。

 

何もしてあげられなかったと思う。

おいしいものをたくさん食べさせてあげたかったし、旅行にも一緒に行きたかった。

義母のために何かをプレゼントもしたかった。

結局なにもできずじまい。

心の中で義母に詫びた。

 

悲しみふさぐ気持ちを払拭してくれたのが義姉だった。

義姉も、義母が大阪に戻ってきた時に私と同じような予感を感じたらしい。

そして彼女は母親に生命保険をかけたのだ。

 

悲しみは義姉に対する怒りにかわった。

「この金はあんたにやる義理はないからな!」

「面倒みて何ももらえんとおあいにくさまやな。」

そんな下品な言葉を聞き、一発なぐってやろうかとさえ思った。

 

だが義母の霊前でその娘をなぐるわけにもいかず、どんな無神経な発言も耐えることにした。

義姉を憎む気持ちはお葬式から帰ってきてからも消えなかった。

 

 

深夜、ふと人の気配で目が覚めた。

 

見れば義母が正座して私を見つめている。

驚いて「お義母さん、どうしたの!?」と、飛び起きてたずねた。

すると頭の中に直接義母の声が響いた。

「あんたになにも残してあげれなくてごめんな。」そういって、義母は畳に手をついて頭を下げた。

いよいよ驚いて、私も布団の上に正座して

「そんなこと、なんにも思ってませんってば!!」

子(義姉の名前)のこと、許してやってね。あの子も今つらいんや。許したってね。」

 

母親の気持ちは母親になれば痛いほどわかる。

どんな子供であってもかわいいし、子供の欠点は自分のせいだと自分を責めるし、ましてや子供が苦しんでいるのなら自分が死んでたって心配するものだ。

 

私も手をついて義母に頭を下げた。

「お義母さんごめんなさい。もうお義姉さんのこと許したから。もう悪く言いません。」

そういって頭を上げると、義母はすーっと消えていった。

私は布団の上に正座したまま、しばらく、義母と会話をした幸せな余韻を楽しんでいた。

 

 

義母とはその後、もう一度再会した。

義母の予言どおり、私はすぐに男の子をみごもり、そして出産。

ダンナの改心を願っての出産だった。

 

しかし願いは届かず、あいかわらず働かないのだ。二人の子供の父親なのに。

私は全てに失望しかけていた。

生活に疲れすぎていたんだと思う。

 

ある朝、仕事に行く時間が迫っても私はがんばる気力が出なくて

「仕事行きたくない・・・」などとぼんやり考えながら椅子に座っていた。

私ばっかりなんでこんなにつらいんだろ・・・そう思うと涙がでそうになった。

 

その時だった。

 

「この甲斐性なしっっっ!!!!」

 

突然頭の中にとどろいた怒鳴り声。しかしそれはなつかしい、まぎれもなく義母の声だった。

びっくりして顔を上げると目の前に義母が立っていた。

義母は生まれたばかりの息子をだっこしている。

そして、「この子を飢えさせる気?」と言わんばかりの表情で、私に息子を突きつけてきた。

 

「あのぉ・・・甲斐性なしはあなたのむすこさんなんですけど・・・」

そうつぶやいてみたら、なぜだか急に笑えてきた。

きっと義母は何度もダンナの尻を叩きにきていたに違いない。

そのたびに「やれやれ・・」と消えては、また何度も出直す義母の姿を想像すると可笑しくて。

 

ひとしきり笑ったら元気がでた。

「そうだね、がんばらなくっちゃね。ありがとう、お義母さん。」

そういうと、義母はにっこり微笑み、「大丈夫だから。」と言い残して消えていった。

 

ふいに赤ん坊の泣き声が聞こえた。

いつから泣いていたんだろう。

 

泣き声が耳に入らないほど、私はどうかしていた。

もしかしたらノイローゼの一歩手前だったのかも。

それを義母が叱って助けてくれたものだと思っている。

 

きっとずっと見守っていてくれたのだと思う。

自分の努力で切り開いて生きてきたと思っていたけど、

振り返れば、信じられないほどの幸運と転機がいくつもあった。

ダンナとはその後、離婚することになってしまったが。義母も理解してくれていると思う。

 

現在、子供ふたりとも高校生。あっというまです。

娘はますますきれいに、息子は私を見下ろすぐらいに大きくたくましい青年に。

ふたりとも大学へむけての勉強に忙しくしています。

 

でも、仕事で忙しい私を気遣って、家事を分担してやってくれるやさしい子供達です。

経営する会社も今のところ順調で、親孝行をする余裕もできました。

たくさん心配をかけた両親と、旅行に行ったり買い物をしたり。

そんなときには、心の中に必ず義母がいます。

 

 

義母との思い出をここに投稿させてもらったのは、先日義母と十数年ぶりに再会したからです。

その日は娘の誕生日でした。

 

夜中目を覚ますと、義母がまた正座して私を見ていました。

私もまた、義母と向かい合うようにベッドの上に正座しました。

義母は何も言いません。

ただ微笑んで「うんうん。」とうなずいているだけでした。

 

やがて静かに立ち上がるとすーっと消えていきました。

きっと私が建てた家を見に来てくれたんだろうと思います。義母に見せたかったから。

そして大きくなった孫を見て、私を誉めてくれたんだと思います。

 

ここまでこれたのはあなたのおかげです。

消えていく義母の後姿に手をついて頭を下げました。

その瞬間、義母と過ごした光景が鮮明に脳裏にうかびあがりました。

 

それは二人でよく行ったあの公園のベンチ。

並んでアイスクリームを食べたあの日の光景。

 

義母は、娘としたかったことを全部私にしてくれたんだと・・・

私を嫁ではなく娘として愛してくれていたんだと、改めて気づきました。

そう思うと涙がぽろぽろこぼれて、頭を上げることができませんでした。

 

またいつか、義母に会いたい。

そして来世というものがあるのなら、また巡り会いたい。

 

 

私には母が二人います。

なんて幸せなことなんでしょう。